家事がめんどくさい理由

めんどくさい。

ふだん、だれもが多かれ少なかれ抱く感情ではないだろうか。

 

 月曜日に会社や学校に行くのが、会社の飲み会が、休みに外に出るのが、めんどくさい。どうにもやる気が出ない。何もしたくない考えたくない。私は貝になりたい。人間をやめてなかったら、そう思うことがきっとあるだろう。でも大抵は、めんどくさいばっか言っても何も始まらないよね、ちゃんとやらなきゃ、と切り替えて日常を再開する。の繰り返し。そいつが顔を出すたび、頑張って押さえ込む。自分の足を引っ張るから消そうとする。

 最近、この厄介な「めんどくささ」って一体なんなんだろう?と考えるようになった。厄介だからこそ、私は振り払うばかりで、その正体を知ろうとしてこなかった。知ろうとしなくて当たり前じゃん、だってめんどくさいもん。意味わかんねー、めんどくさい奴だな。・・・とお思いの方、仰るとおりです。ぐうの音も出ない正論。だけれど、よくわからないめんどくささに振り回されて気分が下がったり、動きたくなくなったりする方が意味わからなくない?納得いかなくない?とも思うので、こいつの正体を少しでも暴いてみたい。めんどくさいけど。

 

めんどくさい は自然な気持ち?

 「めんどくさい」っていうのは、生物として理にかなった気持ちなんだ。そんな話を聞いたことがある。他人の気持ちや物事を理解しようとしたり、周りの人に働きかけたり、決められたことをこなしたりするのは、とても大変でエネルギーが要る。ヒトはできるだけラクをしたい生き物でエネルギーは使いたくないから、めんどくさいと言って逃げようとするもんだ、みたいな話。確かにそういう面もあると思う。だるいから、疲れるからやりたくない。

 じゃあ、毎日ランニングをしている人は皆イヤイヤやってるのか?平日は働き詰めで土日はバンド仲間と一日中演奏している人は皆、筋金入りのマゾヒストなのか?もちろん、そんな人ばかりじゃないはずだ。そうです、私は根っからのマゾヒストなんです!って人もいるかもしれないけど(それもいいと思うけど)、仕事以外でたくさん時間を割くのは、単純にそれが好きだから、って場合が多いと思う。好きなことだったら負担と思わなかったり、しんどくても楽しさの方が勝ったりする。だから、労力が要ることは全てめんどくさい、とは言い切れない。

 

好きじゃなかったらめんどくさい?

 それなら、好きじゃないけどやらなきゃいけないことはやっぱり「めんどくさい」?そうとも限らない。たとえば、電車でお年寄りの人に席を譲る、というシーンで「めんどくさいけど、周りから白い目で見られないように譲るか」と考えるだろうか。少なくとも私が譲る側なら、そもそも「めんどくさいと思うこと」が選択肢にないと思う。これはマナーや、小難しく言うと倫理や規範が発動しているからだ。助けが必要な人は助けるのが当然。こうするのが正しいこと、人として当たり前のこと、という枠組みに嵌まりこんでいるから、そこから外れるようなことは検討対象にすらならない。めんどくさいとか思うのがおかしい。思っちゃいけない。

 私にとっては仕事も似たようなものだ。自分が任された立場や業務がある。それらをちゃんと担い遂げる、やり抜くのが「社会人として」当たり前。忙しいけど、自分だけじゃなくみんなそうだし。そこに「めんどくさい」が入り込む隙はない。こうして見ると、周りの人たちが当たり前だと思っていること、他者が期待することなら、めんどくさくないのかも。

 

めんどくさい の正体

 でも待てよ、他者が期待するけどめんどくさい、ってこともいっぱいあるじゃないか。私がめんどくさいと思うことは、掃除、洗濯、料理、電気ガス水道の支払い、ヒゲを剃る、髪を切る、寝癖を直す、服を着る、体を洗う、外に出る、ネットで買い物をする、ほか多数。もうくたばるしかないのでは?という結論に達しそうだが、食べることと寝ることは大好きなのですみませんが生きます。どうやら、私は家のことならめんどくさいらしい。仕事はめんどくさくないのに、仕事と家でなにが違うのか?

 おそらく義務と義務感の違いだろう。仕事は義務。やるべきなだけでなく、やるのが当たり前だと思っている。家でのことは、やるべきとわかってはいるけれど、やって当たり前とは思っていない。他者の目から部分的に解放されているから。で、「やりたくない」という気持ちが沸き上がるのを止められなくて、だけど「ほんとはやらなきゃ」という義務感にも追い立てられて、板挟みで苦しい。

 この板挟みがめんどくささの正体ではないか。これをやらねばと思うほど、そのハードルがぐんぐん高くなって、越えられなくなってしまう。つまり、めんどくさいけどやらなきゃ、ではなく「やらなきゃだからめんどくさい」だったのだ。順番も接続も逆。ちなみに「めんどくさいとはなにか」でググったら同じようなことを言ってる記事が秒で見つかりました。ここまで読んだ人は、同じ内容を聞くのに「めんどくさい」という呪いの言葉を26回も余計に浴びたことになります。この場を借りてお詫び申し上げます。

 話がそれた。だいぶ回り道をしてきたが、結局「やらなきゃと思うからめんどくさい」という面白くもなんともない所に着地した。

 正体がなんとなく見えたところで、じゃあどうすればいい?めんどくささとどう付き合えばいいのか?・・・とハウツー本的なノリを持ち込みたくなるのだが、ここでは控える。こんな文章をだらだら書くのがめんどくさくなった。答えは一人一人の胸の中にあるはずだからだ。あるいは、各人が探し出すものだからだ(べつに探し出さなくてもいい)。私がこれ以上なにか申し伝えるのは野暮というものだろう。